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私達の想い

「生前遺影/メモリアルフォト」を撮り始めたきっかけ

私が、生前遺影/メモリアルフォトを撮ろうと思ったきっかけは、数年前に祖母が逝去した時でした。
カメラマンを生業にしているくせに祖母の「遺影」にできる写真を一枚を持っていない事実に愕然。その日から、どんな写真を撮る時でも、その事を頭の片隅において撮影するようになりました。
時の流れは残酷なもので、生まれる命あれば死する命あり。撮影をした事のある方がお亡くなりになられた時、必ずと言って良いほど自分の写真が祭壇に飾られています。
初めて、遺影写真に自分の写真が使用された時。
正直、戸惑いと動揺を強く覚えましたが、次第に自分にとってそれは「お世話になったその方にできるカメラマンとしての最後の恩返し」と感じるように。しかし、この時点ではまだ本格的に撮ろうとは思っておりませんでした。

最後の「親孝行」

事業展開に向け、準備をしていたある日。広告に使用できるサンプルがない事に気がつきました。
そこで、田舎に住む自分の母親に頼み込みモデル役をお願いし、何時間もかけて出向いてもらいました。
「サンプルだけど、まだ早いよね」「でもこれで安心だね」「来年、ダイエットしてからもう一回撮るから」なんて、和気藹々と撮影をし「じゃあ頑張ってね」帰宅する母親。
若い頃よりどこと無く小さくなった母親の背中を見送りましたが、それが母親に会った最後の日となりました。享年58歳、くも膜下出血による突然死。
サンプルで撮影した写真を葬儀で使用する事になるとは夢にも思いませんでした。ところが、最後に親孝行ができたと感じると共に私は母親からとても大切な物を学ぶ事になったのです。

母親が死をもって教えてくれた事。

言い方を変えれば「生前遺影/メモリアルフォト」のリアルがそこにありました。
写真やビデオなどは山のようにありますが、毎日お線香を立て合掌するのはお仏壇です。
そこに飾ってあるのは、普段のスナップでも、動くビデオでもない、「生前遺影/メモリアルフォト」。
親父は毎日手を合わせ、そこに話しかけます。
「供養とは、残された家族の心の整理をする事でもある」と住職の方からお伺いしました。
生前どう生きたか、どういう人柄であったか。それを一番良く知るのは残された家族です。
毎日眺めていくうちに、故人とのかけがえのない大切な想い出が「遺影写真」に集約されていく事。それが、孫子の代にまで残る「遺影」がいかに大切なものであるか、という事。敢えて誤解を恐れずに言うならば、生前の人柄がにじみ出る様な「良い遺影写真」は残された家族にとって有る意味救いにもなり得るという事。
そして、「生あるものは"いつか必ず"終焉を迎える」事。
私は母親の最後から、人として、そしてカメラマンとして、かけがえの無い事を学びました。

気づけば、人気ナンバー1メニューに

そんな出来事があり、いつしか「生前遺影/メモリアルフォト」をお撮りします、と撮影に行く先々で口に出すようになりました。
すると、老若男女問わず「是非、撮ってもらえないか」「今すぐ、ここで撮る事は出来ますか」「また、来年も頼むよ(笑)」と口々に頼まれる大人気メニューとなりました。
時に「家族写真と言う建前で上手い事一人の時に撮影してくれませんか?」というオーダーや、「もう私たち子供がいい歳だから姉妹で両親にプレゼントしたいから」というオーダーもあります。直球の方も、そうでない方も、理由も人それぞれ。でも、それらすべてが「終活」の一部である事も事実です。

普段の一枚を撮る気持ちでお気軽にどうぞ

撮影をするにあたって、私たちからお願いがあります。
「生前遺影/メモリアルフォト」だからといって、決して肩肘を張らないで下さい。
別のページにも記載してありますが、今日の写真は今日しか撮る事ができません。普段着でいつもの場所で、ありのまま、普段通りの一枚を撮影しましょう。
細胞の塊である人の姿は刻一刻と変化するもの。できれば、翌年の同じ頃にまたお声掛けください。これは御自身にとっても、また「いざ」と言う時、残された御家族にとっても良い写真になるでしょう。
せっかく出張撮影に呼んで頂いたのですから、ついでに、御家族や御夫婦、お孫さんやペットと共にお写真をお撮りしませんか?
趣味でお使いの道具や作品、お庭の草花でも結構です。私たちに撮れるものがあれば何でもお気軽にお申し付けください。
写真をご覧頂いてにっこり笑って喜んで頂く、それこそが私たちにとって最高の喜びなのですから。